生成AIの次に何が起きる?|SXSW 2025で見えた「AIが社会の前提になる」瞬間

SXSW 2025で見えた「ポスト生成AI社会」

FUTURIST’S VIEW|AI × SOCIETY

生成AIの次に来るのは、もっとすごい生成AIではない。AIが存在することを前提に、社会の方が変わり始める。

宮川麻衣子 Maiko Miyagawa

宮川麻衣子
Director of SXSW Japan
Futurist / SXSW Official Speaker

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この記事は、SXSW Japanニュースレター「ROAD to SXSW」Vol.22で2025年4月2日に配信した内容をもとに再編集しています。

当時「ポスト生成AI社会」と呼んでいた変化を、2026年の現在から読み返すと、そこに見えていたのは「AIが社会の前提になる」過程だったように思います。

SXSW 2025を歩いていて、少し不思議な感覚がありました。

もちろんAIの話は至るところで行われています。

けれど、2023年や2024年に感じた「AIがこんなことまでできるのか」という驚きとは、会場の空気が明らかに違いました。

文章を書く。画像を作る。動画を生成する。コードを書く。会話する。

AIに何ができるかを見せる段階は、すでに一巡しつつあった。

代わりに前へ出てきたのは、もっと面倒な問いでした。

この技術を、社会のどこへ入れるのか。

誰が責任を持つのか。

何を任せ、何を人間に残すのか。

POST-GENERATIVE AI

「ポスト生成AI」とは、生成AIが終わることではない。生成AIがあることを前提に、社会を設計し直す段階のこと。

生成AIの「できる」が、ニュースではなくなった

生成AIが登場した直後は、能力そのものがニュースでした。

人間のように文章を書く。写真のような画像を作る。質問に答える。プログラムを書く。

けれど、技術が社会に定着していくと、問いは変わります。

自動車が珍しい発明ではなくなったあと、都市に道路、駐車場、信号、免許制度、保険、交通法規が必要になったように、AIも「使える」だけでは済まなくなる。

AIが存在することを前提に、周囲の制度やインフラ、人間の役割まで変わり始めます。

SXSW 2025で議論の重心が、機能からエネルギー、インフラ、行政、医療、倫理、身体、文化へ移っていたのは、そのためだったように思います。

AIは、画面の中だけにいる技術ではない

象徴的だったのが、AIとエネルギーを扱うセッションの多さでした。

Azeem Azharによる「Energy and AI: From Vicious Cycle to Virtuous Circle」では、AIの急速な普及がエネルギー需要を増やす一方、それがクリーンエネルギーや電力網への投資を加速させる可能性について議論されました。

生成AIを使うとき、私たちが触れているのは小さな入力欄です。

しかし、その奥にはデータセンターがあります。半導体があります。冷却設備があります。送電網があります。土地と水と膨大な電力があります。

AI HAS A PHYSICAL BODY

電力|計算資源の拡大がエネルギー需要を変える。

土地・水|データセンターは物理的な場所と冷却資源を必要とする。

産業|半導体、電力網、蓄電など周辺産業への投資判断を変える。

政策|どこに、どれだけのインフラを置くのかが公共政策の問題になる。

AIは、目に見えないソフトウェアであると同時に、巨大な物質世界でもあります。

生成AIが社会の前提になるということは、その物質世界もまた、社会の前提になるということです。

AIが「社会の判断」に入ってくる

もうひとつ大きかったのが、AIの社会実装です。

SXSW 2025では、建設、都市インフラ、行政、医療など、AIを実験ではなく現場へ入れていく議論が目立ちました。

ここで起きる変化は、個人がChatGPTを使うこととはかなり違います。

行政や医療、都市管理へAIが入ると、その出力は誰かの生活条件そのものに関わります。

どの道路を優先するのか。

どのリスクを高いと判断するのか。

限られた資源をどこへ配分するのか。

AIは、人間の作業を効率化するだけではなく、社会が何を優先するかという判断の一部に入り始めます。

ここまで来ると、「AIを導入するかどうか」という問いだけでは足りません。

どこまで判断を渡すのか。

その境界線を設計すること自体が、新しい仕事になります。

怖いのは「悪いAI」だけではない

このとき、ガバナンスの問題も少し変わってきます。

AIのリスクというと、ディープフェイク、詐欺、監視、バイアス、誤情報など、悪用をまず想像します。

もちろん、それらは重大な問題です。

けれどSXSW 2025で私が引っかかったのは、むしろAIが「良い結果」を出そうとしたときに、人間の領域を越えてしまう可能性でした。

「あなたのためです」

「こちらの方が良い結果になります」

「統計的には、この判断が正しいです」

そう言われたとき、人間はどこで「それでも私は違う選択をする」と言えるのでしょうか。

医師はどこで判断を取り戻すのか。

患者はどこで自分の身体について決める権利を残すのか。

効率や正確さが高まるほど、人間側が判断を取り戻す理由は説明しにくくなります。

だから、AI時代のガバナンスとは「悪いことをさせない」だけではなく、善意や最適化が、人間の主権を越えないようにすることでもあるのだと思います。

AIが前提になるほど、人間は何を感じたいのか

一方で、SXSW 2025にはまったく違う方向の未来もありました。

私が特に記憶しているのが、Dubai Future Foundationによる「Museum of the Future House」です。

AI、宇宙、気候、未来都市などを扱う場所でしたが、そこで感じたのは、未来技術の鋭さや速さではありませんでした。

むしろ、静けさでした。

Refik AnadolのAIインスタレーション《Earth Dreams》では、地球の空気、水、大地を想起させる映像と音に包まれます。

SXSWでは、未来はしばしば速く、眩しく、刺激的なものとして提示されます。

でも、その空間で感じた未来は違いました。

未来は、速度や効率だけでできているわけではない。静けさや詩情もまた、未来に必要なものかもしれない。

AIが人間の仕事や判断を担う領域が増えるほど、人間は逆に、身体で聞く音、場所に集まる熱、文化、儀式、祈り、偶然のようなものを必要とするのかもしれません。

AIが進化した結果、人間らしさが不要になるのではなく、人間らしさとは何なのかを、以前より細かく考えなければならなくなる。

そのことも、ポスト生成AI社会の一部なのだと思います。

映画は、社会実装より先に「不安」を映していた

映画部門を見ると、別の角度から同じ変化が見えていました。

『Deepfaking Sam Altman』では、実在するSam Altman本人ではなく、AIで作られた「Sam Bot」がドキュメンタリーの登場人物になります。

『American Sweatshop』が描いたのは、SNS上に投稿された有害な映像を人間がチェックし続けるコンテンツモデレーションの現場です。

『Drop』では、日常的なスマートフォンが人を追い詰めていく装置へと変わります。

三作品はまったく別の映画です。

それでも共通しているのは、テクノロジーそのものを未来的な小道具として扱っているのではなく、すでに私たちの現実感や信頼関係を変えているものとして描いていることでした。

誰が本物なのかわからない。

誰かが見なくて済むために、別の誰かが見続けている。

便利なデバイスが、いつの間にか人間の行動を制約する。

制度や法律より先に、映画や物語は社会の不安を形にします。

SXSW 2025のFilm & TVにも、「AIが使えるようになったあと、人間の現実感はどう変わるのか」という問いが、すでに現れていました。

「ポスト生成AI社会」とは、AIが主役になる社会ではない

2025年の記事を今読み返して、少し言い換えたいことがあります。

当時私は「ポスト生成AI社会」という言葉を使いました。

でも、それは生成AIの次に別の巨大技術が登場する、という意味ではありません。

生成AIが珍しくなくなり、AIが使えること自体では差がつかなくなっていく。

その代わりに、AIを前提として、企業、行政、都市、医療、エネルギー、文化、そして個人の判断までが組み替わっていく。

FUTURIST’S NOTE

AIは、何かを作る道具であるだけではない。
社会の配線を変える存在になっていく。

だから次に問うべきなのは、「AIに何ができるか」だけではありません。

AIがある世界で、人間は何を自分の側に残したいのか。

SXSW 2025で見えていたのは、その問いが始まる瞬間だったのだと思います。